東上稲荷道
志木駅東口のちょっと手前、携帯ショップなどがあるところにこんな石碑がありました。十年以上住んでいてよく通る場所なのに電柱の影だからかついぞ気づきませんでした。東上稲荷ってなんでしょう?東上線に関係ありそうですが…
東上鉄道志木駅開設八十六年
交通庵東上翁井下田慶十郎碑
丸井の入り口前の円形ベンチのあたり、スタバのならびの壁際にこんな石碑もあります。こちらは存在は知っていましたが、いつも通り過ぎるだけで碑文を読んだりしたことはありませんでした。改めて読んでみるとこんなことが書いてありました
大正三年五月一日に開通した東上鉄道(現東武東上線)は、当初川越街道沿いに敷設される計画だったが、これでは志木町の衰退は必至であるとの危機感を募らせた廻漕店主井下田慶十郎は、町内有志を糾合して大運動を起こすと同時に、親戚で同業の福岡村星野仙蔵代議士に協力を求め、相謀り、私財を抛ち寝食を忘れ、鉄道誘致のためにまさに東奔西走、死力を尽くした。
その懸命の努力が実を結び、川越街道野火止交差点から約二キロ離れたほぼ現在地に志木の名を冠した新駅が設置された。なお、開通後、京都伏見稲荷大社から分霊して正一位東上稲荷神社を創建するなど、終生、東上線の躍進と町民の幸福を願い続ける日々を送った。生前は交通庵東上翁と号し、昭和六年八月の死後は菩提寺から功績を称揚され、交通院慶運東上居士の戒名を与えられた。
<以下略>
検索してみると以下のような記事がみつかりました
神社自体は井下田家に移築(非公開)されたようですが、冒頭の石碑はもとあった神社の参道入口の碑だったんですね。それにしても鉄道の敷設計画を変えさせてしまうとは大変な先見の明と政治力と執念です。舟運中心だった町の経済の衰退を見越して、それをくいとめるために町民もまきこんで一生懸命運動した姿は立派だと思います。まさに碑文にあるとおり「死力を尽くした」努力だったんでしょう。神社まで作りたくなる気持ちもよくわかります。住所は新座市にあるのに志木駅という名称になっているのもこういう歴史があったからなんですね
想像図
もとの敷設計画図などがみあたらなかったので、適当な想像図にしてみました。現在の東武東上線は確かに朝霞駅のあたりからカーブして現在の志木駅につながっています。この変更がなかったら志木市の姿は現在とは全然違うものになっていただろうなと推測できます
志木駅ってなにげにすごい
Wikipediaの志木駅の記事によると志木駅ってすごい利用者数なんですね
2019年(令和元年)度の1日平均乗降人員は104,698人である[5]。東上線では池袋駅、和光市駅(有楽町線・副都心線への直通・乗換客含む)、朝霞台駅、川越駅に次ぐ第5位である。東武鉄道全駅中、他線への乗り換えがない単独駅としては乗降人員が最も多い。
また、他路線と接続や連絡輸送をしない私鉄の駅では本厚木駅、青葉台駅に次いで日本で3番目に多い。
志木駅東口の交番前にはこんな碑もあります
駅の歴史なんていままで意識したことありませんでしたが、こうして見てみるとなかなか面白いものですね
しき郷土かるた
志木市の郷土資料館に展示されていた「しき郷土かるた」にも井下田さんの札がありました