大教生日行星山彦命碑

住宅街の一画に佇む石碑

上宗岡4丁目の住宅街の一画に石碑が佇んでいました。銘には大教生日行星山彦命(だいきょうせいにちぎょうせいざんひこのみこと)とあります

別項の2つの富士塚と胎内信仰でも出てきた日行星山(星野勘蔵)の碑でした

彼は明治8年(1875)以来70回も富士山に登拝(拝みながら登山すること、登らずに遠くから拝むことは遥拝)したとのこと、この時代宗岡から富士山まで行くことだけでもかなり大変だったでしょうから非常に篤い富士信仰を持っていたことがうかがえます。この篤い信仰心が本山の麓(富士吉田市)に新たな樹型を発見し、後にこれが吉田胎内樹型として世界遺産「富士山」の構成要素の1つとして認定されたのでした

胎内信仰

樹型(溶岩樹型)とは溶岩に飲み込まれた樹が燃えてできた空洞、富士山周辺には人が入ることもできる大きな樹型もあり、その複雑な形を胎内とみたて、その中に入ってから出てくれば赤ちゃんのような清らかな心に生まれ変われるというのが胎内信仰。キリスト教の原罪思想や仏教の業の思想もそれぞれ人間の本質にせまる深いものだと思いますが、胎内信仰は人間は生まれ変わることができる!つまづいたり失敗してもその気になれば一からやり直せる!というポジティブな思想、「くよくよするなよ、またやり直せるさ」と言ってくれるやさしさのある思想に思えます

おわりに

住宅街の一画に佇む石碑は志木と富士山を結ぶ不思議な縁を象徴する石碑でした。住宅建設にあたりこういう文化財を潰さずに残してくれたことはとても素晴らしいことだと思いました

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