街– category –
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地蔵菩薩立像
宗岡2丁目にある地蔵菩薩立像は16〜17世紀に作られた木像です -
排除ベンチ
志木駅東口前に設置されている排除ベンチ、とても冷たい感じがします -
「むね岡」の地名には530年以上の歴史が 〜 道興准后歌碑
宗岡の地名には長い歴史がありました -
足もとにも街の歴史が…
街を歩いていてふと足もとをみるとここにも街の歴史がありました -
志木にもあった兵どもが夢の跡ー羽倉古戦場跡
670年前の南北朝時代の戦場だったそうです -
富士下橋架橋記念碑
木の陰で傾いたまま放置されてしまっている富士下橋架橋記念碑、いろは親水公園リニューアル事業からも見捨てられてしまっているようです。もうちょっと大事にしてあげてもいいのではないでしょうか -
大教生日行星山彦命碑
住宅街の一画に佇む石碑は志木と富士山を結ぶ不思議な縁を象徴する石碑でした -
志木市立埋蔵文化財保管センター
志木市立埋蔵文化財保管センターには地元で出土した土器などが多数展示されています。貴重なものもあり歴史好きの方は一度行く価値ありです -
2つの富士塚と胎内信仰
志木には2つの富士塚がありますが、篤い富士信仰は本山に聖地の一つを発見するほどでした -
引又観音堂と「引又」の由来
新河岸川の舟運を300年以上にわたって見守ってくれていた聖観音、良いお顔でした。また「引又」という言葉にはおもしろい由来がありました -
新河岸川の紫陽花
新河岸川の紫陽花、見頃になってきました -
旧西川家潜り門と武州世直し一揆
旧西川家潜り門には武州世直し一揆の刀の傷跡が残っているそうです。当時の民衆の世直しへの願いの痕跡かもしれません -
白井武左衛門といろは樋
白井武左衛門が作ったいろは樋、新河岸川で終わっていた野火止用水を宗岡まで伸ばし、実に300年もの長きにわたって宗岡の地を潤し続けていました -
柳瀬川に流れ橋が架かってました
イベント専用でたまに架かるだけだそうですが、費用はいかほどかかっているのでしょうか?橋をはずした時の景観もよくありません -
東上稲荷道 〜志木駅の歴史〜
志木駅にはなかなか面白い歴史がありました -
新緑の敷島神社
緑が鮮やかな季節になりました -
村山快哉堂のつるしかざり
村山快哉堂のつるしかざり、端午の節句バージョン -
新河岸川の芝桜
新河岸川の芝桜が満開になっていました -
新河岸川の桜
我が家は敷島神社のすぐ近く、神社から新河岸川に出てよく散歩をしています。今年も桜がきれいでした
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