富士下橋架橋記念碑

富士下橋の新河岸川右岸側(本町側)の近くにある階段脇に木の陰で傾いてしまっている石碑がありました

碑銘には富士下橋架橋記念碑とあります

今の富士下橋と石碑の古さ感が一致しない気がしたので調べてみると、市が公開している志木市歴史年表には昭和41年(1966)と平成7年(1995)の2回ほど富士下橋完成の記述がありました。どうやら現在の富士下橋は1995年に完成した2代目で、石碑は1966年の初代の完成記念碑であるようです。碑銘の左脇には「足立町観光協会長三上●●●謹書」とあり、この街が足立町を名乗っていたのは1955年から1970年までなので時期的にも符合します

石碑の裏には橋を架けるために誰それがいくら寄付したという記述がならんでおり、当時の篤志家たちへの謝意が読み取れます。実際近くにはいろは橋もありますが富士下橋を利用する人も多くこの橋はとても便利だと私も思います

せっかくいろは親水公園のリニューアル事業を行うなら、この記念碑も木の陰で傾いたまま放置せずにもう少し良い場所に移設してもいいのではないかと思いました。かつてより暮らしやすい街にするために私財を出し合った人たちへの敬意の記念碑は大切にするべきです。石碑一つは小さなことかもしれませんがそういう積み重ねが街の文化になってゆくのではないかと思います。この石碑が市の管轄なのか県の管轄なのかはわかりませんが、仮に県の管轄でも市がいろは親水公園リニューアル事業の一部として県に働きかけることくらいはしてもいいはずです

現在の二代目富士下橋。初代は赤い鉄骨造りだったらしくそれを踏襲して赤色が入っているのでしょうか?そういえば少し上流に造られた流れ橋(イベント時専用で通常は土台のみがむき出しのひどい建造物)も赤かったです。しかしもしそうならその旨どこかに説明文くらいおかないと26年以上前から住んでいて初代を知っている市民にしかわからないですね。新しく入ってきた市民も街の歴史に親しめるような配慮をしてほしいものです。小さな説明板一つつけるだけでできるささやかな配慮です

この案内板をみると「富士下橋(あか橋)」となっているのでやはり初代の赤い橋の歴史を受け継いで赤色を入れているようですね

現在の富士下橋にたくさんついているこの逆三角形の板、もともとは中に電灯を入れてアクリル板でカバーし夜はライトアップされていたのに、片端から壊してまわった者がおり、修理したらまた全部壊されたという残念な歴史の結果、鉄板で固定されてしまったそうです。ひどい話ですね

元日には富士下橋の右岸寄りのこのアングルで川からの初日の出が見られるので見に来る人も結構います

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>今井あさと

今井あさと

埼玉県志木市在住。敷島神社の近くに住んでます。27年間ほど都内の私立高校で非常勤講師をした後にフリーランスのプログラマを経て現在はほぼ休業中。非正規一筋の人生です(笑

非常勤講師で教えていたのは公民科(政治経済・現代社会・倫理など)。今でも政治や社会に強い関心があり、志木市の政治についても詳しく見てみようと思いこのようなブログを立ち上げました

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