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志木市歴史館がオープン

志木市の記者発表資料によると今年10月26日に志木市歴史館がオープン予定だそうです

待望の土日開館
これまで埋蔵文化財保管センターは平日しか開いていませんでしたが、今後は土日も開館するようで、ぐっと身近な施設になりそうです

埋蔵文化財保管センターと郷土資料館を複合化した新施設

志木市歴史館は柏町の埋蔵文化財保管センターを増改築し、中宗岡の郷土資料館と複合化して新施設にするものです

現在の埋蔵文化財保管センターが増改築されて新施設になります
既存の埋蔵文化財保管センターの2棟に1棟を増築(上図の緑枠)し、郷土資料館の史料を加えて再編する形のようです

志木市の素敵な歴史

志木市は日本で6番目に小さい市ですが小さいながらも素敵な歴史があり、このブログでもとりあげてきました。これまでは埋蔵文化財保管センターと郷土資料館に分かれて展示されていましたが、歴史館ではまとめてより体系的に見ることができるようになりそうで楽しみです

国内最古級の石器群

柏町5丁目の中道遺跡では後期旧石器時代初頭(約3万6千年前)のものと考えられる石器群が出土しています。これは日本列島に人が住みはじめた頃の時代らしく、この地にはその頃からの歴史があることを示しています

縄文時代の貴重な土器
幸町の西原大塚遺跡などでは縄文時代の貴重な土器も出土しており、一見の価値があります

ヘビとヒトが向かい合い両側にはイノシシが配置された縄文土器。縄文時代の口承の物語や神話を表現しているのではと言われています
とても小さい犬の土偶

いろは樋
志木市の歴史を語るうえで欠くことのできないのがいろは樋。江戸時代の1662(寛文2)年、宗岡の手前の新河岸川に流れ込んで終わっていた野火止用水を川向うの宗岡にまで引くために新河岸川をまたがせた巨大な樋。全長260m、舟運を妨げないように水面から4.4mもの高さ。宗岡に大きな水利をもたらし、明治期には鉄管に改修、大正末からは潜管への改修を経て実に1965(昭和40)まで、300年以上活用され続けました。郷土資料館には貴重な写真や絵図が展示されていました

田子山富士塚

1872(明治5)年に築造されてから今日まで、150年以上この地の人々に愛され続けてきた田子山富士塚。国の重要有形民俗文化財でもあります
私は折りに触れて富士塚についても少しずつこのブログに書いてきましたがとても素敵な歴史だと感じています

志木駅
現在の東武東上線の前身の東上鉄道は第一次世界大戦がはじまった1914(大正3)年に開通。当初の計画ではこの地の駅は現在よりもっと南、現在の野火止交差点の方に作られる予定であったが、志木町の廻漕店主井下田慶十郎が町内有志と大運動を起こして東奔西走、死力を尽くして現在地に誘致。駅名も志木駅となった(住所は新座市)。当時の志木町は新河岸川の舟運で栄えていたが、これからの運輸は鉄道の時代になるとの井下田慶十郎の先見の明。この鉄道誘致がなければ今日の志木市の姿は大きく異なっていたのではないかと思われます。また志木市の住民運動の先駆としても大きな歴史的意義があったと思います

小さいながらも素敵な歴史がつまった志木の街。この地の歴史と文化の発信拠点としての志木市歴史館に期待したいです

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この記事を書いた人

埼玉県志木市在住。敷島神社の近くに住んでます。27年間ほど都内の私立高校で非常勤講師をした後にフリーランスのプログラマ。非正規一筋の人生です(笑。非常勤講師で教えていたのは公民科(政治経済・現代社会・倫理など)。政治や社会に強い関心があり、志木市の政治についても詳しく見てみようと思い、2021年からこのようなブログを続けています。一市民の目線で志木市政をみつめていくうちに今の志木市政や市議会にいろいろな疑問をもつようになり、その疑問をぶつけたいと2024年(令和6年)には志木市議会議員選挙に立候補しましたが落選。政党や組織に属さない本当の無所属・一市民としての壁の厚さを痛感しましたが、くじけずにこれからもコツコツと志木市政について発信を続けていきたいと思っています

今井あさと
〒353-0004
埼玉県志木市本町2−9−48
080-3099-2862

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